若手記者のナヤミ
転職してジャーナリストになり、地方の支局で記者をしているAさんと、ひょんなところで再会。支局勤めも1年が過ぎ、仕事にも慣れてきたようで、まずは安心しました。記者の仕事は「適性」がはっきりと出るので、とても耐えられない、というタイプの人は、最初の支局勤めで、すでにぐったりしてしまうものです。そうでないということは、まずは「耐性」があるということ。
Aさんいわく、「私はネタ取り競争にはあまり興味がわかない。じっくりと書く仕事がしたい」。僕もかつて、同じことを考えていたので、その気持ちは痛いほどよくわかります。
警察担当(サツ廻り)に象徴される、支局での特ダネ合戦は、それが若手記者の「育成プロセス」であると位置づけられていることもあり、かなり過熱します。「サツでネタを取れなければ一人前の記者にはなれない」といった価値観が強くあるからです。
若手記者には2つのタイプがいます。その価値観を受け入れ、熾烈な特ダネ競争に勝ち残り、「勝つ味」をたっぷり知って、立派なスクープ記者へと育っていくタイプ。そして、どうしても「競争」に本気になれず、「私にはこっちは向いていないのでは」と、悶々としながら、活路を模索するタイプ。
Aさんは後者のようです。僕もまた、そうでした。
そうした記者の「生きがい」は、「独自ダネ」と呼ばれる記事を書くこと。一般的に特ダネとは、ほかのメディアが「追いかけ」てくるスクープのことをいいます。一方、独自ダネとは、必ずしも他紙が後押ししなくても、独自の視点と価値観を武器に、埋もれているニュースを世に出すこと。
僕はよく、「徒競争(かけっこ)が好きか、ひとりで長距離を走るのが好きか」といった図式で、記者の2つのタイプを説明します。ヨーイドンで一斉に走り出し、その中で一番になってやる!と執念を燃やす人もいれば、ほかのプレイヤーにはあまり興味がなく、自分自身で納得のいく走りをすることを重視する人もいます。Aさんはまた、ここでも後者の典型だったようです。
人数の少ない支局だと、とくに地元紙の圧倒的な取材陣容に押され、それこそ毎日のように「抜かれ」ることなります。たとえば県警担当記者が、こちらはひとりなのに、地元紙は十数人もいて、県庁所在地の市内各署にひとりずつ張り付いている、なんてことが珍しくありません。そうすると、ますます「競争」に興味がなくなってくる。
さて、僕はAさんに、こんなことを言いました。「地元紙に30連発で抜かれても気にすることはない。だけど、1年に1回でも、半年に1回でもいいから、地元紙が青ざめるような特ダネ・独自ダネを書くべきだ」と。
わが身を顧みれば、えらそうなことを言えるような手柄はありません。しかし、どうしても伝えたかったのは、「時間の感覚を失った記者は、少なくともプロの記者ではなくなる」ということです。時間の感覚とは、ライバルよりも、誰よりも、「早く書く、(ニュースを)早く世に出す」ということ。
なぜそれが重要なのか、理由は2つあります。
①「書きたい」「世に出したい」という意欲と情熱に溢れる記者にしか、情報源は(貴重な)情報を与えないから
②記者は評論家ではないから(記者とはいったい何が『プロ』なのか?)
①でいう「意欲・情熱」は、対象が「情報」(それを知る人間が少ないほど価値が大きい)である以上、必然的に「時間感覚」を伴います。つまり、「書きたい」意欲とは常に「早く書きたい」意欲である(あるべき)わけです。
②については、記者の能力(プロたる所以)とは、文章作成能力と取材能力の2つしかありえない、ということに尽きます。文章がうまい人は世の中にたくさんいます。取材能力のある人も、かなりいるでしょう。では、大学の学生新聞編集部に所属するきわめて優秀な記者(学生)と、プロの記者はどう違うのか?? まだ世に出ていない情報(一次情報)を、さまざまな「リスク」を乗り越えて、世に出す(公にする)ための「技術」を持っているのが、後者です。そうでなければ、評論家になります。
ずいぶん高所から書いてしまい、恥ずかしい限りですが、結論をいえば、「競争」意識がなければ、どんな仕事の仕方であれ、「プロの記者」でいることはできない、ということになります。
Aさんが、支局にいる残り数年間で、「地元紙が青ざめる」ような記事を世に出すことを、期待しています。
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