ヘリ墜落事故で考える危機管理広報
海上保安庁のヘリ墜落事故が、情報隠蔽という思わぬ方向で物議をかもしていますね。危機対応のテキストになる事例なので、取り上げてみましょう。
事実関係と論点は、下記の読売新聞記事でご理解いただけると思います。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100821-OYT1T01000.htm?from=nwla
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100821-OYT1T00759.htm
要するに、「ヘリは、海上艦艇に乗り込んだ司法修習生に見せるためのデモ飛行を行っていた。事故は、そのデモ飛行の合間の飛行中に起きた」というのが真相です。(司法修習とは、司法試験合格後の研修のこと)
これを隠し、通常の任務飛行中の事故だった、と説明してきた。なぜ伏せたかというと、「司法修習生に迷惑がかかるので」。早い話が、事故と司法修習を結びつけて報じられたりすれば、海保が事件処理でお世話になる検察庁(法務省)の機嫌を損ねてしまう、という「配慮」ゆえでしょう。
いきなり結論になりますが、今回、海保サイドのミスは以下、2点あると考えます。
①18日の事故発生から20回以上にわたった記者会見を、専ら地元の第6管区海上保安本部(6管)に任せてしまい、当初ないし早期から海保本部の広報が仕切らなかったこと。(ふだん、せいぜい広島のメディアしか相手にした経験がない6管には、危機管理コミュニケーションの能力とノウハウが足りない)
②「デモ飛行」の事実を公表した場合に受けるダメージと、公表しない場合、それが発覚する確率とそのリスクについて、的確な比較検討ができていなかったこと。
とくに②が、今回の致命的な間違いです。上記の記事を見ても、あるいはほかの報道でも、デモ飛行と事故との相関関係を指摘し、その点で海保を責める論調はほとんどありません。
メディアの批判は、「事故原因につながる(可能性を否定できない)情報を当事者が隠ぺいした」ことに集中しています。つまり、隠さず、こちらから先手を取って早期に明らかにしていれば、おそらく、大きく騒がれることはなかったであろう情報だったのです。
①については、東京や大阪のメディアを日常的に相手にしている広報部門と、地方の広報部門では、とりわけ危機管理・危機対応に関するノウハウが大きく異なる、という事情を示す好例です。なぜ違いが生まれるのか? それは、日常的に接する記者たちの「個々の力量」がまったく異なること、さらに、メディアから見た取材対象との心理的な距離(どこまで厳しく追及するか/できるか)の違いによります。
今回、広島で断続的に行われている6管の会見は、各媒体の大阪本社から出張ってきた事件記者であふれかえっていることでしょう。
管区海上保安本部のマスコミ対応というのは、おそらく、月に1度かそれ以下の頻度の本部長定例会見と、事故や事件発生時の臨時会見くらいで、数年か十数年に一度、大きな事故に見舞われたとき、東京や大阪の事件記者たちが押し掛けてくる、というものでしょう。
地元の、顔見知りの記者たちとの、のんびりした関係に慣れてしまった広報にとって、今回のような事案のハンドリングは無理があります。やはり、本部の広報がすぐに出向き、情報の価値判断からサポートすべきだったと思います。
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